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アボット感染症アワー
ラジオNIKKEI 2008年4月25日放送

Helicobacter cinaedi感染症

東京医科大学微生物学講座 教授 松本哲哉

はじめに

 本日はHelicobacter cinaedi感染症についてお話をさせていただきます.ヘリコバクター属の菌としては,胃潰瘍などの原因となっているヘリコバクター・ピロリが最も良く知られていると思います.これまでピロリ菌以外のヘリコバクター属の菌がヒトに病原性を示すことはほとんど無いと考えられていました。しかしHelicobacter cinaediによる感染症は,1990年代に欧米での報告が続いてみられるようになり,2003年には国内で始めて本菌による菌血症の例が報告されています.その後,国内においても血液培養によってHelicobacter cinaediが分離される例が増加しており,最近注目を集めています.

細菌学的特徴

 本菌の細菌学的な特徴について簡単に述べさせていただきます.Helicobacter属には、全部で29種類の菌が存在することがわかっています。ヘリコバクター・ピロリは主に胃に定着していますが,その他の多くの菌種は小腸や大腸に定着しています.Helicobacter cinaediはもともとCampylobacter属に属していましたので,以前はCampylobacter cinaediと呼ばれていました.Helicobacter cinaediはグラム陰性の螺旋菌であり、酸素濃度が低い環境で発育する微好気性の菌です。通常の血液寒天培地にも発育しますが、遊走性、すなわち鞭毛により菌が移動しますので、培地上に薄く膜を張ったようなシート状の発育が観察されます。これは通常の菌のコロニーとは全く形態が異なりますので、ときに菌の発育自体を見逃してしまう可能性もあります。アピヘリコという同定用のキットを用いたり,さまざまな検査を実施することで、本菌の推定は可能ですが,本菌であることを確定するためには、生化学的な性状を調べるだけでなく、遺伝子学的な解析や、必要に応じて電子顕微鏡による形態学的な解析が必要となります。そのため一般の検査室で本菌の最終的な同定を行うことは困難です.

臨床的特徴

 次にH. cinaedi感染症の臨床的な特徴について,解説させていただきます.本菌による感染症の報告例は菌血症あるいは敗血症が最も多いのですが,それ以外には蜂窩織炎や関節炎,髄膜炎などの症例が報告されています。もともとこの菌は弱毒菌であるため、患者のほとんどは免疫不全患者であり,これまで海外での報告例はHIV感染者が大半を占めていました。では国内ではどうかといいますと、これまでの報告ではHIV感染者は含まれておらず,慢性腎不全や悪性腫瘍,血液疾患など感染に対する抵抗性が減弱しやすい疾患が多く認められました.さらに抗癌剤や免疫抑制剤を投与され,医原的に免疫不全の状態に陥っている症例も認められました.ただし最近では特に明かな免疫不全がないにもかかわらず,本菌による感染症例の報告もなされています.なお,患者の年齢については,生後まもなくして発症した例から,高齢者まで幅広く認められます.
 これらの患者がなぜ本菌による感染症を発症したのかについては、明確な答えがあるわけではありませんが,患者はおそらく発症以前から腸管内にH. cinaediを保菌していたと考えられます。この菌を腸管内に持っていたとしても、下痢や胃腸炎などを訴える例が一部に認められますが,特に何の症状も現れない場合も多いようです。そのため菌血症など重篤な感染症が起こる機序としては,免疫不全の状態などがきっかけになって、腸管内の菌が血流やリンパ流に入り、やがて菌血症を起こしたと考えられます。このように腸管内の菌がより深部に侵入し他の部位に移動する現象をBacterial translocationと呼んでいます。本菌は細胞傷害性の毒素を産生することが知られており,鞭毛を用いて組織内に侵入することで,Bacterial translocationが起こりやすくなっている可能性が考えられます.

Helicobacter cinaediの国内での分離頻度

 実際にHelicobacter cinaediが国内の患者からどれくらいの頻度で分離されているのかについてご説明します.私達は都内の施設の協力を得て,2003年10月から半年間にわたって血液培養の前向き調査を行いました.その内容をご説明しますと、大学病院6施設を含む都内13の施設に参加していただき、調査期間内に提出された約1万7千件の血液培養検体を調査対象としました。通常のカルチャーボトルで血液培養を実施後、なんらかの菌が分離されたのは約2,700検体で、全検体の16%を占めていました。その中でHelicobacter属が疑われる菌が10株分離されました.宮崎大学農学部の三澤尚明先生に菌の最終同定を実施していただいた結果,最終的に6株がH. cinaediであることが確定しました。これは培養陽性検体の0.2%にあたります.0.2%という数字だけを見ますと,なんだ,そんなに少ないのかという声が聞こえてきそうですが、これまで分離例がほとんどなかったわが国においても、少ないながらもこの菌による感染例が存在することが明らかとなったことは重要と考えられます.その意義を認めていただいた結果,昨年のJournal of Clinical Microbiologyにもこの結果をまとめた論文が掲載されました.その影響もあってか,その後さまざまな施設からHelicobacter cinaediと考えられる菌が分離されているという報告が続いております.

Helicobacter cinaedinoの増加原因

 ではいったいなぜこの菌による感染症の報告例が最近増えているのでしょうか?その理由はいくつか考えられますが、そのひとつの要因はペットを飼う頻度の増加ではないかと私達は考えています。本菌はヒト以外にもイヌやネコ、ハムスターなどさまざまな動物の腸管から分離されます。これらの動物をペットとして飼うことにより,ヒトがこの菌と接触する頻度が高くなり,感染症を発症する可能性が高くなったと考えられます。そこで宮崎大学の三澤先生らのグループが,私達との共同研究で,ヒトとイヌから分離されたH. cinaediを遺伝子学的に解析されました。その結果,ヒトから分離された菌は,イヌから分離された菌とは、基本的には異なるグループに属していることが明らかとなりました。すなわちイヌが持っている菌が飼い主などに伝播し,感染症を起こす可能性は否定的と考えられました.ただしイヌ以外にもネコやハムスターなどの動物も本菌を保菌していますので,さらなる検討が必要と考えられます.

診断と治療

 H. cinaedi感染症の診断について述べさせていただきます。本菌による感染症に特有の症状や所見は認められません。菌血症が起これば発熱や末梢血白血球数の増加が起こりますが、非特異的な所見でしかありません。そこで本菌による感染症の診断を行うためには,培養を行って実際に菌を分離する必要があります。特に免疫不全患者が発熱を訴えた場合は積極的に血液培養を実施する必要があると思われます。血液などの無菌検体から本菌が分離されれば診断が確定します.なおこの菌は発育に長い時間を要しますので、検査室でのカルチャーボトルの培養は,本菌が疑われる場合は最低7日間,可能であれば10日程度まで延長した方が検出率が高まるようです。また本菌の同定は難しいので,菌の最終同定は専門の機関に依頼して解析する必要があります.
 H. cinaediによる感染症の治療について述べさせていただきます。本菌は基本的にはセフェム系抗菌薬やカルバペネム系抗菌薬に良好な感受性を示します.点滴静注にてこれらの抗菌薬を投与することで、比較的すみやかに症状の改善が認められ,予後は良好と考えられています。ただし,エリスロマイシンやキノロン系抗菌薬に耐性を示す菌の報告も認められますし,再燃を起こしやすいという報告もありますので、注意深く経過を観察する必要があります。

おわりに

 本菌はまだまれな部類の感染症であることに違いはありませんが、本菌のさまざまな特徴が理由になって,実際には見逃されている可能性があります.そこで免疫不全患者においては本菌による感染症も考慮に入れて,検査を行っていく必要があると思われます.また最近では健常人の感染例も報告されていますので、今後さらに分離頻度が増加する可能性もあり,注意が必要と考えられます。

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